敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~ |
第二次世界大戦中、」ナチスドイツ親衛隊の保安部(SD)に所属しフランス・リヨンにおいてレジスタンスやユダヤ人の殺戮、検挙、拷問活動などを行なっていたクラウス・バルビーは戦後逮捕されるも当時ソ連と冷戦状態にあったアメリカは彼と彼の持っていたソ連に対する情報・諜報技術を反共産主義活動に利用し戦犯としての罪に問われる事はなかった・・・・それからフランスにおいてバルビーの罪を問う声が大きくなると彼はバチカンの助けを借りて南米ボリビアに亡命、そこでボリビアの軍に「彼の技術」を授け政府に大きな影響を及ぼす人物となっていく頃再びアメリカCIAと連絡をとり始めた彼はチェ・ゲバラの暗殺作戦にも関わった・・・・しかしボリビアが左翼政権に取って代わられると彼の居場所はなくなりついにフランスに送られ裁かれる事になり・・・といった内容。
ナチスの戦犯が戦後逃げのびていたという話はアイヒマンやメンゲレなどが有名だがこのバルビーのように戦後大国の庇護の下でその立場を変え自らのプロフェッショナルな能力を発揮し、影で世界史に影響を及ぼしていたという話は興味深い。
アメリカにとってナチスは「敵(=ソ連)の敵は友」という事でこの映画のタイトルになってるわけだが、実際アメリカは戦後ドイツで「ゲーレン機関」など元ナチスの軍人を使った対共産諜報機関を作っているし、「対共産主義」の名目の元に戦犯の免責や利用がされるという行為が「戦争」というもののもつ「正義」のあやふやさを象徴しているようである。
それは日本でも同じ事がいえるようだし中国で人体実験など悪魔的行為を繰り返した関東軍731部隊がその実験情報と引き換えに免責された事実など、この映画のバルビーという男の生きた人生は綺麗事だけでは成り立たない世界の暗部を浮き彫りにしたようにも思える。
バルビーにとっては戦時中の殺戮や拷問行為は単なる誠実な「職務遂行」だったろうし、捕らわれた人々にとっては非難すべき酷い残虐行為であるという「戦争」というもののもつ立場や価値観の違いが戦犯という存在を生み出しているようにも思えるが、「戦争」はそもそも国家間における命のやり取りという狂気的行為なわけだし、その状況で「人道的」な事を要求するというのも妙な話という気もする。
一見バルビーは大国の意図を利用してうまく生き延びたように見えるが、実際は利用価値がなくなった途端戦犯として裁かれてしまったりと哀れとも思える人生だし、こういう事は戦後アメリカはアフガニスタンでのタリバン支援など繰り返し行なった末、9.11テロのように自らが逆襲される状況に陥ってしまったという皮肉さもあったり世界史に覆い隠されていた様々な歪みが今後の世界でどう影響してくるのか考えると恐ろしさもある。
