グラン・トリノ |
ウォルト・コワルスキーはかってはフォード社で働いた自動車の熟練工で朝鮮戦争従軍経験があり、頑固で口が悪く偏見に満ちた孤独な老人であるが、そんな彼の住む環境は隣にはモン族の家族が住み、周囲には様々な人種の若者ギャングが存在するなど昔とは全く違うものになっていた・・・・そんな彼の楽しみといえば自らステアリング・コラムを取り付けた自慢のヴィンテージカー「グラン・トリノ」を眺める事・・・しかしそんなグラン・トリノを隣人であるモン族の若者タオがギャングをやっている従兄弟とその仲間にグループに入れと脅され盗もうとした事がきっかけとなり、その後なりゆきでタオの家にきた従兄弟のギャングたちをウォルトが銃を手に追い払った事からタオとその姉スーや、家族であるモン族の人々との交流が始まって孤独で偏屈だったウォルト自身の心に変化が起こり始める・・・・同じく自分の道に迷っていたタオもウォルトとの出会いで変わっていったり楽しい日々が続いていたがギャングたちはまだタオを狙っており・・・・といったストーリー。
最初この映画の大まかなストーリーを知った時は「ダークナイト」や「パニッシャー」など最近映画でよく題材にされる自警団的「法を超えた正義」ストーリーの映画かという印象だったが、イーストウッドといえば彼の代表作に「ダーティハリー」という法を超えた正義を貫く作品があるので「ダーティハリー再び?」とか思ったものの、実際観てみると確かに主人公コワルスキーは自分なりの正義感を持つ頑固なジジイで従軍経験者で銃の扱いには慣れているというキャラで、やりたい放題のギャングたちの存在とコワルスキーの怒りがいかにもそういう自警団的な雰囲気で「犯罪者どもに死の制裁を!」といった風に話も進むのだが、そこは良い意味で裏切ってくれたというか意外な結末には驚かされたしそこに今のイーストウッド流の「正義」があったようにも思う。
多分タオと出会わず心に変化のなかったコワルスキーならば観客の予想通りの結末になっていそうだった気もするが、それではよくあるパニッシャー系の映画と同じであそこまで心に残るような映画には成り得なかったと思うし人生を不器用に生きてきた男の最後の生き様を見せてくれた気がする。
またこの頑固オヤジ・コワルスキーのキャラクターも差別的発言連発や口の悪い台詞、怒りの見せ方など実によく作りこまれていたのも面白かったし、一見差別的表現は酷いのだがそこはあくまで表面的なもので裏側にある彼の真意や愛情などが感じられるという表現は素晴らしかったし、モン族の独特な風習なども絡めた交流風景などもユーモアがあって楽しめた。
他には映画を通して何だか「ノーカントリー」や「告発のとき」のような「古きよきアメリカ」がなくなってしまった中で古い人間がどう現実を生きるか?みたいなテーマ性も感じたり、はたまたコワルスキーの最後の行動には古き日本の精神的なものも感じたりとイーストウッドの美学は日本的武士道に通ずる部分があるのかもしれないとも思った。
観る前と観た後で全く思っていたのと違う感じの映画だったが、この映画は観てみて本当に良かったと思うし、今年観た中で間違いなくベスト10のうちの1本に入る作品だと思う。
